「ゆるぎない平安」(牧師:平良善郎)

「14:26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教 え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。14:27 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの 平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」ヨハネ14:26~27

 この混沌とした社会の現実の中で、悩み、苦しみに押しつぶされそうになることがある。どこに救いの道が、どこに 変わらない平安があるのかと求める。もう、自分の幸福や平安など、追い求めることをすでにあきらめた、そういう人 もいるかもしれない。しかし、教会には、まことの平安、まことの愛、救いがある。 主イエス・キリストを信じる教会は、全知全能の神を礼拝している。その神は私たちに永遠の命を与え、ゆるぎない 平安を与える神である。その神を求める私たちに、聖書の永遠の真理を悟るよう信仰の目を開かせてくださるお方が、 聖霊なる神である。その聖霊が私たちにすべてを教えてくださる。すべてとは何か?つまり、まことの真理を悟らせる のである。聖書は語る、主イエスが真理であり、聖書の御言葉が真理であると。主イエスを信じる者は聖霊の導きの中 で、いつも心に真理なる御言葉が響く体験をし、主イエスがいつも共にいてくださるという祝福に与るのである。 御言葉が響きつつ歩む者に与えられる祝福、それは平和である。平安とも訳せる言葉である。この世が与える平安と は違う。ではこの世が与える平安とは何か?地位名誉、溢れる財産に恵まれ、家庭環境が整えられるなど、自分の欲望 が満足する歩み、それがこの世の平安と言えるかもしれない?しかし、その状況が変わると、たちまちその平安も変わ っていく、消えていくのではないか。この世の平和、平安は移りゆくものである。しかし、主イエスが与える平和・平 安は決して変わらない。主イエスは次のように語る(27)「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。 わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」と語る。主イエスが与える平和、 平安とはつまり、どのような状況が襲ってきても、心が騒がない平安である。絶望の中でもおびえることのない平安に 生きる歩みである。その平安を与えられて私たちは日々を歩む、それが主イエスを信じる私たちの祝福である。 しかし、この罪の世の中で、私たちはいつも試練との戦い、恐れとの戦いを通らせられる。神は愛する者を訓練する と聖書に記され、神は私たちを鍛え上げるためにあえて試練を通されることがある。その時、心が騒ぐし、おびえるの である。その時、主イエスを信じる私たちに、聖霊なる神が主イエスの愛と恵み、真理の御言葉を思い起こさせ、恐れ から解放されるという恵みに預かるのである。それが主イエスを信じる私たちの祝福である。主イエスの十字架で表さ れた大きな愛が日々心に迫り、その愛が溢れる体験である。どのような状況、環境の中でも、平安に包まれる体験であ る。それが主イエスを信じる者の祝福である。多くの人々がこの神の祝福に与り、ゆるぎない平安を体験されますよう、 お祈りしています。